2005.4.21〜4.23、あたしは母と北海道旅行に出かけた。母が以前から北海道に行ってみたいと話していたので、あたしは少ない給料を積み立てておいたのだ(何ていい娘なのだろう)。
まぁ、そんな訳で行く事になったのだが、当時あたしは旅行が好きではなかったので「お金出すから行っておいでよ」と言っていたのだが、「ひとりじゃつまらない」と母が言うのでじゃあふたりでという話になったのだ。
約束では、妹が高校を卒業して母がゆっくりなってから、という事になっていた。しかし、実際計画を立てる段階になると、母は「北海道ならどこでもいい」等といい協力的ではなかった。おいおい、誰の為の旅行だ?
仕方がないのであたしひとりで計画を立て、旅行会社に申し込みをし、お金を払い、チケットを受け取り、何とか旅行の日を迎えたのである。
旅行1日目は鹿児島ー伊丹ー新千歳空港の乗換えで、世間知らずのあたしたちはオタオタしながらも何とか乗り換えをし、無事新千歳空港へたどり着いた。それから快速で札幌へ。駅近くのホテルに向かう途中、母とちょっとした口論になった。母は計画を立てるのに何一つ協力をしなかったというのに、あたしのやることにケチをつけたのだ。あたしは言った。「お母さん何一つ協力してないじゃん」と。
重い空気の中、ホテルにたどり着き、いつのまにか仲直りしたあたしたちは札幌市内を散策した。
母は、方向音痴だった。あたしが地図を片手に歩いていると、横から地図を覗き込み「時計台こっちだよ」、「月影荘こっちだよ」そう言うのだが、どれもあたしが指す方向とは違うので、道行く人に尋ねてみると決まってあたしの方が正しかった。あたしは自分が方向音痴だと自負している。…母は自分が方向音痴だとは信じていない(笑)。ま、そうして札幌の夜は更けていったのだった。
旅行2日目は、ANAバスが宿泊先のホテルに迎えに来た。今日は小樽観光である。北一硝子周辺の散策時間は1時間30分しかなかったのだが、あたしはどうしてもオルゴール堂でオルゴールが欲しかったので母の手を引くように向かった。たくさんのオルゴールを目にあたしが迷っていると、母が「これ買ってあげようか?」そう言った。あたしと弟が旅行にとお小遣いをあげたものの、元よりあまりお金を持っていない母、旅の思い出にと思ったようだったが、あたしは自分で買うよと言った。今回の旅行は、あたしから母へのプレゼントだ。母の気持ちも分かるしありがたいのだが、母に貰っては意味がなくなってしまうのだ。
それから硝子製品やランプなどを見て周り、バスに乗る直前にソフトクリームを買うことにした。そこでも母にお金を出させるつもりはなかったのだが、母が頑として聞き入れなかったので買ってもらうことにした。
その後昼食、移動、大沼公園、移動…で湯の川の旅館に到着し、温泉に入り、夕食を取る事にした。今日はお部屋食だった。
仲居さんが夕食を運んでくれ、不足分を取りに戻った時、ご馳走を目の前に「すごい(ご馳走だ)ね」とあたしが言ったら、母は急に涙声で「ありがとうね」そう言った。それを聞いたあたしも「何でよ…」と涙ぐんだ。「昨日までは何て(思わ)なかったんだけど、急にね」と母。ご馳走を目の当たりにして有り難味を感じたのだろうか…何とも母らしい事である(笑)。「仲居さんが今の状態を見たら自殺志願者と勘違いするだろうね」とふたりで笑った。確かに、ご馳走を目の前にふたりで涙するというのは尋常ではない。
3日目は函館観光で、トラピスチヌ修道院や五稜郭公園、元町を散策した。そこでも母は持ち前の方向音痴を惜しみなく発揮し、あたしを惑わせたが、今となってはいい思い出である。
とうとう函館空港に到着し、楽しかった旅行も終わりを迎えようとしていた。その後、思い出にと函館ー羽田ー鹿児島空港の乗り継ぎの羽田空港でふたりでスキップをし(馬鹿)、鹿児島空港から家までのシャトルバス内で母が面白い顔をしてあたしを笑わせ、夜遅い時間にもかかわらず、バス内はあたしたちふたりだけ密かにフィーバーしていたのだった。
今回の旅行はとても楽しく、充実したいい時間を過ごせたと思う。母孝行も出来たし、思い出もできた。それにあたし自身も日頃の疲れを癒し、リフレッシュできた。母もきっとそうだと思う。「たまには旅行もいいね、次は家族で行こうね」旅行好きじゃなかった母も嬉しそうに話していたから。
日頃の感謝の気持ちを言葉で伝える事は照れくさいし、それに(相手の心に)残りにくいとあたしは思う。だから、たまには感謝の気持ちを込めてどこかに連れて行ってあげたり、そういう思い出のプレゼントもいいのではないだろうか。思い出はいつまでも消えないし、きっと一番のプレゼントになる事だろう。
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